「世界史の知識を備えて、自分の頭で考えられる大人になってほしい」【ゲスト:佐藤幸夫先生】


みなさん、こんにちは!TABIPPO編集部の西嶋です。

今回は、2月8日にTABIPPOオフィス本社で行われた講義 「世界史が教えてくれる国際問題の処方箋」の様子をレポートします。登壇者は、代々木ゼミナールの世界史講師、佐藤幸夫先生です。※ゲストプロフィール詳細は、文末に記載しております。

 

社会人が世界史を学ぶべき理由


「世界史を学ぶ人は減っています。今やセンター試験の受験者数では、日本史と地理にダブルスコアをつけられているほど」と話し始めた佐藤先生。

その一方で、社会人になると、「世界史を勉強しておけばよかった」と後悔することになるそう。なぜなら、世界中で起きていることを理解するには、世界史の知識が必須だから。佐藤先生の社会人向けの講義は、「世界史を勉強しておけばよかった」と後悔する社会人で常に満員だといいます。

今回の講義では、「ネットの記事を鵜呑みにしないために、正しい知識を持って自分の頭で考えられるようになってほしい」という佐藤先生が、世界中の出来事をさまざまな切り口から語ってくださいました。

盛りだくさんだった講義の中から、「イランとアメリカ」と「南アジア」をピックアップしてまとめてみます!

 

イランとアメリカ:1979年の悪夢

イランとアメリカは一触即発――ニュースから、そのような印象を受けている人も多いでしょう。この関係を遡ると、イラク・イラン・アフガニスタンを中心とした、イギリスやソ連やアメリカの思惑から始まるそう。

時の大統領は民主党、「人権外交」をスローガンに掲げたカーター。さて、彼はどんな過ちを犯してしまったのでしょうか?

イラク

王政だったイラクは、1958年のクーデターを経て共和制へと変わりました。そして時を経て1979年、サダム=フセインが大統領に就任。

イスラム教の国ですが、宗派が分かれています。スンナ派が30%、シーア派が63%ほどを占めていました。

イラクがイギリスから独立するとき、イギリスはスンナ派と親密な関係にありました。だからイギリスは、少数派だったにもかかわらず、スンナ派に政権を渡したのです。サダム=フセインは、少数派のスンナ派でした。

イラン

イランは、97%がシーア派でした。60年代、イランはアメリカ化。アメリカは貧しい人にはお金を渡さなかったので、貧富の差が拡大しました。

1979年にイラン革命が起きます。このときのシーア派の指導者はホメイニ師。彼は、アメリカを追い出す活動のリーダーとなりました。

反発勢力によってアメリカ大使館は包囲され、アメリカ人外交官たちは逃げ出すこともできず、人質になってしまいます。それにもかかわらず、時のカーター大統領は、大使館に閉じ込められた人々を助け出すことができませんでした。

アメリカとイランの国交がいまだ開かれていないのは、核問題ではなく、こちらの事件が元凶になっているのです。

イラク

イランで起こった革命は、イラクのシーア派に影響を与えました。「イランのシーア派が革命を成功させたなら、俺たちにもできるはず!」と考えたんですね。これを「革命の輸出」といいます。

ですが、革命が起こってしまうと、スンナ派のサダム=フセインは不利な状況に追い込まれます。そこで彼は、イランのホメイニ師に対して宣戦布告しました。これが「イラン・イラク戦争」です。

イラン・イラク戦争

イラン・イラク戦争は、イラクの勝利に終わりました。イラクを利用してイランに勝ちたいアメリカが、イラクの味方についたからです。「敵の敵は味方」理論ですね!

イラクは、ロシアに次いで石油の埋蔵量が世界第2位の国。アメリカには、イラクの石油事業を掌握したいという目論見がありました。

しかしイラクは、アメリカの提案を却下。それに怒ったアメリカは、イラクに対して経済封鎖政策を行いました。

アフガニスタン

アフガニスタンでは、1979年のイラン革命の少し後、社会主義政権が発足。土地が国有化されます。

これに猛反発したのは、大地主たち。自分たちの持っている土地が没収されるのですから、当然のことですよね。アフガニスタンの大地主のほとんどはイスラムの宗教家だったので、たくさんの過激なイスラム教徒「聖戦士」が世界中から集められました。

ここで、「せっかくできた社会主義政権が倒れないよう、ソ連が守る」という名目で、ソ連がアフガニスタンに侵攻。アメリカはこれを非難し、1980年に開催されたモスクワオリンピックをボイコット。日本も後に続きました。

聖戦士を鍛えてテロリストへと育て上げるために選ばれた人材が、ウサマ=ビンラーディンでした。ソ連を倒すため、アメリカは聖戦士を育成するための費用を援助します。ここでも「敵の敵は味方」理論です。その結果、アメリカ・アフガニスタン軍が勝利しました。

アメリカ・アフガニスタン軍の勝利により、アメリカは、イラクとアフガニスタンを味方につけました。そこでアメリカは、イランを挟むべく、アフガニスタンに基地をつくることを提案。それを拒否したアフガニスタンとの争いが勃発しました。

逮捕されそうになったウサマ=ビンラーディンは、逃亡先のスーダンやケニアでアメリカ大使館を爆破。イエメンでもテロを起こし、アフガンスタンに戻りました。

ウサマ=ビンラーディンというと、テロリストのイメージがあると思いますが、実は彼は「アメリカがお金を出して育てたテロリスト」だったのです。

 

南アジア:複雑な宗教・民主問題

インド

インドの部族・言語の数は3000にものぼります。こんなに多様な言語があると、コミュニケーションもままなりません。

そんなインドをイギリスが植民地化し、学校を作って英語教育を始めた結果、インド全土が英語で取引ができるようなりました。

またインドには地下資源もありますが、その国土の広さゆえ、取引ができていませんでした。そこでイギリスは、インドに長い鉄道網を建設。スムーズな取引が実現しました。

植民地化はたくさんの人を傷つけるもの。一方でインドの英語教育や鉄道建設のように、植民地に恩恵をもたらすものでもあるのです。

インドを統治しやすくするためにイギリスがとった手段は、「紛争を起こさせ、その仲介に入って信頼を得る」というもの。宗教ごとに土地を分け、東側と西側にイスラム教徒を、真ん中にヒンドゥー教徒を住まわせることにしました。

当時、インド国民はイスラム教徒が10%、ヒンドゥー教徒が86%を占めていました。これらを一つの国にすると、多数決でヒンドゥー教徒が圧勝することになります。だからあえてバラバラで住まわせたのです。

こうしてイスラム教徒が住む土地を「パキスタン」に、ヒンドゥー教徒が住む土地を「インド」としました。といっても、ラダックなどがあるカシミール地方のように、イスラム教徒が77%が占めるにもかかわらず「インド」になってしまった土地もありました。

スリランカ

近年、宗教・民族間の対立が絶えないスリランカにも目を向けてみましょう。

スリランカには、多数派の仏教徒(シンハラ人)と少数派のヒンドゥー教徒(タミル人)がともに暮らしています。タミル人は、イギリスの植民地だった時代に、紅茶を栽培するために南インドから連れてこられた人びとです。

スリランカがイギリスから独立した後も、タミル人はスリランカに残ります。その存在を疎ましく思ったシンハラ人と対立して起こったが、スリランカ内戦です。この紛争は、1983年から2009年まで続きました。

一方、2019年4月に起こったスリランカ連続爆破テロ事件は、イスラム過激派がキリスト教徒を狙って起こしたものでした。ひとくちに「スリランカ国内の紛争」といっても、以前から起こっていたものとは、対立する民族が異なっているのです。

以上、佐藤先生による講義の一部をレポートしました。今回の講義をきっかけに、世界史と世界情勢に興味を持った方も多いのではないでしょうか?佐藤先生、ありがとうございました!

 

ゲストのご紹介

代ゼミ世界史講師。

1967年 栃木県生まれ。東京都在住。 代々木ゼミナールの世界史講師としてサテライン・TVネットで活躍中。 予備校講師という硬いイメージに邪魔されず、生徒が授業を楽しめる工夫を。との思いから年に1回、必ず世界一周へ。 自分の目で見た世界遺産を、歴史的ストーリーとともに生徒へ伝えること25年。 その生徒との対話を大切にする親身な姿勢が受け、多くの生徒の支持を得る。 また大学生となった教え子を集め、世界史スタディツアーを催行。 自分が学んだモノを実際に目で見て感動し、世界への見聞を広げて欲しいという思いから始めたツアーも、気づけば50回目となった。 現在、約88ヵ国500都市へ渡航。その広い世界情勢への知見を活かし、全国でトークイベントを行う。

Text:西嶋結